http://www.sankei.co.jp/news/050930/sha037.htm
長い話を一言でまとめるとこうなる。
「原告側は裁判を運動に利用しているにすぎず、判決自体は訴えの利益がないとして、請求を棄却した」
福岡地裁判決の時と同様、「卑怯な判決」という感想しかない。
こういう「運動材料にしかならない玉虫色判決」を繰り返すたびに
どんどん裁判自体の信用が失われていく。
ブログをざっと見回してみると、ほとんどが「靖国参拝の合否」にのみ言及している。
でも、この話の本質はそんなところでは全然無くて、
重要なのは「判決とは真逆の要旨」から生じる「実質的な三審制の否定」じゃないのか。
例えば殺人事件で
「被告はやったに違いないというのが裁判官の見解だけど、
証拠が全然無いから仕方なく無罪」
なんてトンデモ判決出したら、普通に裁判官としての責任を問われるだろう。
「『形式勝訴』で実質的に上訴の権利を失った被告の名誉」はどこで回復させるんだ。


大阪高裁判決、全くご高説の通りです。
司法関係者にはやたらにサヨク系な連中が多いのですが、そのうち最高裁判所にもこの手の判事が進出すると思うと恐ろしくなります。
何か、日本では判事としての修養過程に何か欠陥でもあるのではないかと疑う次第。
いっそこの手の判事が個人的に中○人○共○国とか○○党から工作費を受けている物的証拠でも出てくればまだ救いがあるんですが……
最高裁裁判官ならむしろ何の問題も無いんですよ。国民審査ありますから。
でも下級裁判所裁判官にはそういった類のものは全く無いから問題なんですね。
「だから裁判員制度が必要なのだ」という話もありますけど、どうなんでしょうね。